ハッスル予想査定試合
第2戦 ・東京優駿ダービー
(2004.5.30、東京)



■1枠
 マイネルマクロス(後藤)
 ヴンダー(柴田善)

■2枠
 マイネルブルック(藤田)
 ダイワメジャー(デムーロ)

■3枠
 ハーツクライ(横山典)
 アドマイヤビッグ(武豊)

■4枠
 マイネルデュプレ(内田博)
 メイショウムネノリ(福永)

■5枠
 コスモバルク(五十嵐冬)
 フォーカルポイント(田中勝)
■6枠
 グレイトジャーニー(小牧)
 キングカメハメハ(安藤)
■7枠
 スズカマンボ(武幸)
 キョウワスプレンダ(佐藤哲)
 コスモサンビーム(四位)
■8枠

 ホオキパウェーブ(岡部)
 ハイアーゲーム(蛯名)
 ピサノクウカイ(オリヴァー)

人気上位(単勝オッズ)

キングカメハメハ(2.6)
コスモバルク(3.3)
ハイアーゲーム(6.4)

ダイワメジャー(7.6)
ハーツクライ(17.1)
−−−−最終オッズ

sound:PRIDE(Victory)

時代を創る英雄の情熱がある。

苛酷な戦いの果て、たどり着いた夢舞台・ダービー。
今こそ、最高の輝きを放ち、勝利を奪い、運命を変えろ。
君の情熱こそ、時代を創る英雄の真実となる。
【ハッスル予想査定試合:第2戦 結果】  ■馬柱■


   
  栗村 管理人
  25暴P

68暴P

・キングカメハメハ1着 ×7
・マイネルデュプレ13着 ×1
・ハーツクライ2着 ×1
・ハイアーゲーム3着 ×1
・ダイワメジャー6着 ×6
・コスモバルク8着 ×4
■これまでのTOTAL
栗村:  65暴ポイント
管理人:  144暴ポイント

 

■査定試合第2戦 結果詳報


▲NHKマイルCに続き、またも馬券をハッスルさせた栗村。ゴール板前にてUFOポーズをとり大ハッシャギ(東京競馬場にて)。


▲大切にとっておいた『北斗の拳』と『キン肉マン』全巻をヤフオクで売り資金を調達。1点勝負した管理人の馬券を「ゴミは捨てんとな」と強奪し、目の前でクシャクシャにする栗村。


▲いつの間にか増殖していた栗村率いる暴れん坊軍団。「反体制? いつまで古くさい左翼用語使ってんだ、ビターン。オレたちが体制だ!」と勝ち誇る(列左手前から:アニマル=ウォリアー、統括本部長栗村、ヘルミッショネル1号、列奥左から:ヘルミッショネル2号、ヘルミッショネル3号、堂総務秘書官)

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過去5年



2003 ネオユニヴァース



2002 タニノギムレット



2001 ジャングルポケット



2000 アグネスフライト



1999 アドマイヤベガ
管理人×栗村 ハッスル予想査定試合


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ハッスル予想査定試合・オフィシャルルール
1)持ち点10を各馬に振り分ける。
2)レース後、振り分けた馬着順×点数で暴ポイントを算出。
3)暴ポイントの少ない方が、暴走・掛からずに折り合いがついた予想だったとして勝利者となる。

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両者のポイント&予想
栗村: キングカメハメハ→7暴れん坊
マイネルデュプレ→1暴れん坊
ハーツクライ→1暴れん坊
ハイアーゲーム→1暴れん坊

「ダービー本線的中は男の勲章」ダービーのために競馬を観て、ダービー的中のために馬券を買う。ダービーを普通のG1と同列に考えるようなら、即刻競馬をやめたほうがいい。確かに、私の以前の予想には夢があった。万馬券、10万馬券、いい思い出だ。だが、今の私の予想には夢はなくても浪漫がある。自身の理論に裏打ちされた予想がはまった一本勝負…NHKマイルCは真の馬券者しか得られない快感。ダービーは、NHKマイルCの覇者を本命としたい。だが、馬場しだいでハーツクライやハイアーゲーム(良)、マイネルデュプレの台頭があると思う。そこでだ、管理人! 買った馬券をこのHPで公開しようじゃないか! どうだ、びびったか? たじろいだか?? ビターン!
   
   
管理人: ダイワメジャー→6暴れん坊
コスモバルク→4暴れん坊
 

 当初はダイワメジャー1点で勝負しようとしていた。が、田部調教師のインタビューを読んで気が変わった。ダイワとコスモバルク。ダービーもまた先週同様2頭出しで勝負だ。

 まずはダイワ。クラシック第1弾、皐月賞を制したというのにダイワに向けられた評価は、拍手ではなく酷評だった。曰く「幻の皐月賞をやり直して欲しい」、曰く「第二のノーリーズン」。ダイワにとってダービーは今後の運命を決める重要なレースといえよう。敗北はすなわち皐月の栄光も無になることを意味する。世論など関係ない。勝つことで己の道を切り開き、勝利することで世評を変えていく。こういう闘いにこそ自分はシビれる。だからこそダイワに重い暴ポイント献上だ!
 そしてバルク。まずば田部調教師のインタビューを抜粋。
「認定厩舎制度による預託を受け入れたのも、何かしなくちゃホッカイドウ競馬がなくなってしまうという危機感からだったのですから、この結果(ホッカイドウ競馬の売り上げ増)が一番うれしいですね。ファンが喜んでくれるなら、私は何でも協力しますよ。コスモバルクの蹄鉄も引き綱も、みんなファンへのプレゼント用にしちゃいましたから」
 NHKマイルC→ダービーのクロフネローテーにこだわり続けるキングカメハメハ・松田調教師の野望が、究極の「Only One」だとしたら、コスモバルクの田部調教師はまさに「One for all、All for One(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)」。終生大衆に尽くすこの姿勢は素晴らしい!
 馬券はダイワ−バルクの馬連1点だ!

 最後に栗村へ。馬券公開? OK。ノープロブレムだ。ただし! レース後に馬券を見せびらかすのは、的中しても外れていても所詮自己満足でしかない。もちろんやるならオープンリーチ。レース前に公表してこそ真の意味がある。お互い買う馬は決まっているのだから、どうだいここは、互いに土曜日公開といこうじゃないか。スペースを空けて待ってる、とだけ言っておこう。
 
 derby プレーバック(1932〜2003)  



第10回(1941年)1.セントライト 2.ステーツ 3.カミワカ


第12回(1943年)1.クリフジ 2.キングゼヤ 3.フジハヤ


第18回(1951年)1.トキノミノル 2.イッセイ 3.ミツハタ


第28回(1961年)1.ハクショウ 2.メジロオー 3.チトセホープ


第30回(1963年)1.メイズイ 2.グレートヨルカ 3.イロハ


第31回(1964年)1.シンザン 2.ウメノチカラ 3.オンワードセカンド


第42回(1975年)1.カブラヤオー 2.ロングファースト 3.ハーバーヤング


第50回(1983年)1.ミスターシービー 2.メジロモンスニー 3.ビンゴカンタ


第51回(1984年)1.シンボリルドルフ 2.スズマッハ 3.フジノフウウン


第57回(1990年)1.アイネスフウジン 2.メジロライアン 3.ホワイトストーン


第59回(1992年)1.ミホノブルボン 2.ライスシャワー 3.マヤノペトリュース


第64回(1997年)1.サニーブライアン 2.シルクジャスティス 3.メジロブライト


第65回(1998年)1.スペシャルウィーク 2.ボールドエンペラー 3.ダイワスペリアー

 


第61回(1994年)1.ナリタブライアン 2.エアダブリン 3.ヤシマソブリン

 
 1973年5月27日 第40回 東京優駿



第40回(1973年)1.タケホープ 2.イチフジイサミ 3.ハイセイコー

ハイセイコー敗れたり


人生は夢ではない


 ダービーが終わった。
 嶋田のタケホープが疾風のようにゴールを駆け抜けたとき、私たちはまたひとつの夢が破れるのを感じた。ハイセイコーは百万人のファンが作り出した虚構にすぎなかったのか?
 スタンドは、ことの意外さに呆然として静まりかえった。メイズイが三冠目の菊花賞で敗れたときと同じような、苦いものが心をおそった。できることなら、ハイセイコーに勝たせたかった。ハイセイコーに十五連勝を、二十連勝を、三十連勝をさせたかった。だが、ハイセイコーはクリフジの十一連勝の記録を破ることさえできずに、三着に敗れ去ったのである。スタンドには、外れ馬券が雪のように舞った。思えば高い夢の代償だった。この数ヶ月のあいだ育ててきた虚構がくつがえり、私たちの時代には馬の英雄でさえも存在しなかったことがあきらかにされたのだから。
 このことは、ただの一頭の馬の敗北を意味するものではなかった。ハイセイコーという虚構の崩壊は、たちまちのうちに政治化され、ヒーローなき同時代の混迷に通じていった。価値の相対化だけが現実であり、〈絶対〉は夢の中にしか存在しなかった。
 ハイセイコーに自らを賭け、そして敗れて、新宿の安酒場の煙草の煙と嬌声を聞きながら、私はぼんやりとクワジーモドの「人生は夢ではない」という詩を思い出していた。
  想い出は 死からのぼってくる
  何時まで永らえることができるだろうか
  過ぎゆく日だけが
  自分のものだと思うとき
  その一つが永遠に止まる……
 第四十回日本ダービーについて、私はいくつかの角度から、思いつくままに書いてみた。それは謎解きであり、解釈であり、そして捏造でさえあった。


英雄の存在しない時代−−ダービー観戦記

「パールハーバーって、真珠湾のことだろ?」とスシ屋の政が言った。「大国アメリカがハイセイコーだとすると、奇襲作戦に出るのはこのウマじゃないかな」
 私は笑った。「名古屋で勝ってきたウマにそんなことができるものか」
 だが、スシ屋の政も負けていなかった。「何しろ、きょうは海軍記念日だもんね」
 今までも、私は王者が倒されるのを、何度か見たことがある。不滅のチャンピオン、ジョー・フレーザーが、カール・フォアマンに滅多打ちにされてKO敗けした宇宙中継テレビ。三冠を約束されたメイズイが逃げ潰れてアラアラになってしまった菊花賞レース。−−だが、きょうのハイセイコーだけはだれも負けを予想できなかった。……
 ……三コーナーから四コーナーにかけて、私がひそかに期待していたニューサントが、じりじりあがって、先頭に立った。すぐあとにハイセイコー、そしてその内側に仕掛人騎手福永洋一のウメノウオー。そのまま四コーナーを回って直線へ入ると、内のハイセイコーに外からタケホープとイチフジイサミが競りかけてきた。タケホープは、昨年嶋田功が乗ってオークスを勝ったタケフブキの弟であり、ここへ来て急上昇してきた馬−−しかも、落馬で「地獄めぐり」をして、もどってきた嶋田が、オークス制覇にひきつづいて一発を狙うダークホースである。タケフブキとイチフジイサミがハイセイコーを競り落としたときも、ファンはまだ騒がなかった。「まだ百メートルある」と思ったからだ。だがその百メートルでハイセイコーの逆転はならなかった。信じられないようなドラマだった。嶋田はゴール板前を手をふりながら駆け抜け、それから五馬身おくれて、ハイセイコーは三着に敗れたのだ。
 ハイセイコーの敗北は、ただ一頭の馬の敗北ではなかった。そのことの意味は、おそらく一夜あけたあとでこそファンの心に深くよみがえることだろう。それは、私たちの時代には、もはや英雄などは存在しない、そんなものは必要ではない−−というメタファーだったのだ。それが、政治化されず、たかが数頭の馬のレースだったとしてもだ。私はハイセイコーの王座をくつがえした、嶋田とタケホープに拍手を惜しまないが、それよりもすばらしかったと思うのは、競馬そのものが抱えている時代の比喩だった。……


寺山修司:昭和10年青森県弘前市生まれ。早稲田大学在学中に「チェホフ祭」で新人賞を受賞。短歌、文芸評論、シナリオ、演劇、映画、競馬評論と幅広い分野で類い希なる才能を発揮。生前の著書は約280冊にも上がる。昭和58年5月4日午後0時5分、肝硬変と腹膜炎のため死亡。47歳だった。ハイセイコーは寺山が最も入れ込んだ1頭だった。それから17年後のことである。種牡馬生活を引退し余生を送っていたハイセイコーにも死が訪れた。心臓マヒ。放牧地に静かに横たわるハイセイコー。獣医が駆けつけたときにはすでに永遠の眠りについていたという。5月4日。それは、寺山が息を引き取ったほぼ同時刻の出来事だった。

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