キミの主張に称号が与えられる。半世紀を超える持ち込みの道程から、多くの英雄が育っていった。その称号は最強、或いは怪物…。そしてキミは何と呼ばれるのか。自分を思うがままに主張する若者に、明日の夢を見ることになるだろう。−−このコンテンツは、マンガ家を目指すW氏の活動記録である。

sound:Charge!(Karl Jenkins)
 
  スーパーファイトIN持ち込み(WEB版)
シリーズ2日目結果速報
  キミの作品には
エネルギーがないねぇ


持ち込み直前、秋田書店のトイレでひとり瞑想にふけるW。
心中には何が去来しているのか?
   
 
 かつて秋田書店の新卒採用試験を受けたWだったが、一次試験の面接で落とされた。面接官に「好きなマンガは?」と聞かれ「稲垣先生のボギーです!」と答えたのでは、落とされるのも当然だろう(※正確には板垣恵介先生の『バキ』)。チャンピオンを代表するマンガ「バキ」を間違えるとは…
   かつてスピードスケート・オリンピック代表選手に、黒岩という男がいた。現在JOSの広報を務めている。
 その彼が、冬季オリンピックに出たのが1984年大会。当時、実力ナンバーワンと謳われた彼は、試合前に「金メダルなんて楽勝」宣言をするのである。それはつまり、一切の努力を放棄することを意味していた。
 しかし、結果は10着の惨敗。彼は、狭い世界で築きあげた自分の価値観に溺れていたのだ。
 その一戦以来、彼は変わった。
 次のオリンピックが開催されるまでの4年間、彼は地味なトレーニングに自分を没頭し続けてきた。自惚れていた自分自身に別れを告げ、世界を見すえた幅広い視野でもってひたすら自分の内面を深めていったのである。
 そして4年後、彼は銅メダルを獲得したのだ。
 表彰台での彼が涙しながら語ったあのコメントが忘れられない。
「あの惨敗がなかったら、今の自分はなかった……」
 前回の『ジャンプ』への持ち込みで、W氏は徹底的に叩かれた。そこには優しさのかけらもなかった。自己を過大評価することで失っていた世間の価値観を、半ば強引に教え込まれたのであった。
 今回の『チャンピオン』への持ち込みも、前回の結果となんら変わりはない。ただ違ったところといえば、編集者がじっくりとWのマンガを読み、ひとつひとつ言葉を選んで話していたことくらいだ。
 極端なダメ出し。身も蓋もないマンガに対する批評。
 一見、未来がないように思える展開だが、見方を変えれば、その極端性の中に希望の光があるのではないか。
 かつての黒岩がそうであったように、あとは等身大の自己を素直に受け入れ、そこからどれだけ自分を高められるかだ。
 Wにとってつらい道のりはしばらく続くだろう。
 しかし、諦めることはない。
 希望の光は、確実に存在する。
            (S)
   
     
     
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▼時間無制限一本勝負

週刊少年チャンピオン
(21分51秒)W
 
     
   


週刊少年チャンピオン編集部
N氏のコメント−−



下ネタっていうのは、読み口としては誰にでも理解できて入りやすいんだけど、その反面、発想に意外性を出すのはキツイ。この作品でいうと、発明品に意外性がないんだよねぇ。ここに出ている4つの道具なんか、すでに現実にありそうだし。
 しかも、オチにもうヒネリ足りないというか、思いついたモノをそのまま描いているといった感じだなぁ。これ、キミだけにしか描けないネタではないよね。2話目なんか、道具見て、あぁこうなるンだろうなぁと思ったらその通りになった。発想が当たり前すぎて、先が読めちゃう。
 単純発想では読後感も『ふ〜ん』レベルで終わっちゃうよ。ギャグの基本は、どれだけヒネリを加えられるかなのだから

キミの場合、絵がヘタなのはいいけれど、話と演出にもう一工夫が欲しいところ。ボケとツッコミのテンポがどれも同じだし、作品自体にエネルギーがない。コンセプトにも、面白さはないしね。
 それにマンガって、ラーメン屋で麺をすすりながら気楽に読むモノでしょ。これだけネーム(セリフのこと)が多いと、読むだけで疲れるんだよね。
 あと、もし少年誌でやっていこうとするなら、キミは下ネタから脱しないと大成しない。うん、これだけは言えるね

今後、マンガを持ち込む際には、まずはキミ自身のウリを見つけること。それにはまず、具体的なマンガ家の目標を設定することだよ。例えば、吉田戦車のようになりたいと思うとするよね。そうしたら、吉田戦車のマンガでウケる層がこうして今、読者層にいるわけだから、その層全員の笑いを取ってやるんだという意気込みで、吉田戦車系のギャグをひたすらマネする。
 はじめはパクリっぽく見えても、描いていくうちに作品に幅ができてきて、そこから段々と自分の個性というのが出来上がってくる。自分のウリを見つけるには、コレが一番早いやり方だよね。
 とにかくギャグの場合、判断は面白いか?面白くないか?だけだから、編集者だけでなく、まずはいろんな人に見せることだね



N氏は終始「なんでこんなマンガ読まなきゃいけないんだ」
というようなタルイ表情で対応した。しかし、
原稿は一枚一枚丁寧に目を通す。

 

巻末
特別コラム
(99.6執筆)

 コミックは、映画やゲームなどの他の娯楽メディアと比べて容量に制限があるメディアだといわれる。音が出ず擬音による効果音、斜線によって動きを演出する静止画。
 80年代に訪れるファミコンの来訪によって、マンガ・小説・映画などその他もろもろの娯楽市場は群雄割拠の様相を呈した。
 といっても実質はゲームとマンガの2強のしのぎ合いに他ならず、若者の活字離れ時代すらとっくに過ぎ去ってしまった小説分野などは、言文一致運動の頃に活躍したご先祖様が今の状況を見たら嘆き悲しむであろう有様。映画界も、最近だとタイタニックといった爆発的ヒットこそあったものの、レンタルビデオの普及とともに、映画館への足が遠ざかる一方だ。
 今や90年代も終わろうとしている。
 ゲームとマンガの2大勢力の争い。
 最近の娯楽市場はどうなっているのだろうか。
 一時期、子供マーケティング市場の勢力分布図は、ゲームというバイオハザードに完全に浸食されてしまったと言われ続けたことがあった。自分で主人公を操作でき、かつコミックのメガ・キロ・バイト(容量)では決して表現できない音と映像を駆使したストーリー展開に、子供達は洗脳されてしまっている……「右手にジャーナル、左手にコミック」を握りしめていたバリケード世代の人たちは、一様にそう嘆いたものだった。
 確かに、技術革新を旗頭としたゲーム界の進化には、戦後日本の高度経済成長を彷彿させる驚異的なものがある。鼻毛まで表現できるプレステ2の誕生は、「もうこのハードが完成したら20世紀は終わってもいい」状態だろう。
 だが、しかしだ。
 あれ程までに自虐CMで「つかみはオッケー」だったドリームキャストが、一部秋葉系のみで列ができ、今やさくらや辺りでは山積み状態になっているのはどうしたことか。次代を担うハードであるにもかかわらず、だ。
 不思議なことである。
 容量の拡大とともに、マーケット市場完全制覇を目論んだゲーム業界は、打製石器級の容量レベルで作り上げた「ドラクエ」を超えることができないでいる。しかもだ。近年のヒット作、子供のみならず、おじいちゃんまで一度は耳にしたであろう「ピカチュウ」は、ファミコンを磨製にしただけのゲームボーイ出身なのだ。
 容量を広げることで、新しい可能性が芽生えてくるのもまた事実だろう。だが、限られた容量だからこそ、小手先の技術だけではごまかせない「内容」が要求されるのではないか。
 コミックのハードにはかなりの限界がある。しかし、限られた容量だからこそ内容で勝負するしかない。コミックの限界は、見方を変えれば一つの巨大な武器であるとも言えるのだ。


(いつもとひろゆき)
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