キミの主張に称号が与えられる。半世紀を超える持ち込みの道程から、多くの英雄が育っていった。その称号は最強、或いは怪物…。そしてキミは何と呼ばれるのか。自分を思うがままに主張する若者に、明日の夢を見ることになるだろう。−−このコンテンツは、マンガ家を目指すW氏の活動記録である。


sound:オリンピア
 
  スーパーファイトIN持ち込み(WEB版)
 

 

あとがき
 私の大学生活の総括ともいうべき卒業論文のテーマを、私は何に設定しようか悩んだ。いざマンガ論と謳ったところで、その切り込み方は無限大のように存在する。いったい、何を論証すればよいのだろう。
 元来論文とは、外部を検証することで現象を考察するものと考える。外にある状態を帰納してはじめて自分というものが意見として出せるのだが、私はWとしてあえてその流れに逆らい、自分自身をテーマとした。はじめから自分を全面に出し、自分自身についてひたすら論じることで、マンガ界の現象を探っていこうとしたのだ。
 そして私はさらに、この論文をぜいたくであるが読み方によっては「小説」とも「ドキュメント」とも「マンガ家入門書」ともとれるものにしたいと考えた。
 その試みははたして成功したかどうかは分からない。
 しかし、私にとってこの卒論は、一つの思い出深い論文となったことは確かである(多忙の中、ご協力いただいた各編集部者様に、この場を借りて御礼申し上げます)。
              1999年12月15日

 

『解説−マンガと未来への遺産』
 現在、マンガは軒並み部数を失い、過渡期だとかバブルマンガ景気の終焉だとか言われているが、それはかつてあったマンガの内容に、そのパワーを失ったからではない。近年でもマンガ雑誌を見渡せば、かつての作品同様あるいはそれ以上に楽しめる作品は数多くある。ではいったい、その原因はどこにあるのか?
 今回W氏は、自分の描いたマンガを複数の出版社に持ち込んだ。同じマンガを編集者あるいはその出版社ではどう評価が違うのか? W氏は、マンガの作品論からではなく、そのマンガ雑誌の作り手である編集者を比較することで、現在のマンガ界の問題点を浮き彫りにしようとしたのだ。その結果、Wマンガを批評する編集者の言葉からは、作り手のマンガに対する意識が明らかになった。
 かつての「マンガを読め馬鹿になる」と罵倒された時代は終わり、マンガはもはや市民権を得たことは周知の事実。だが、市民権を得ることによってマンガは、その存在感を失ってしまった。ミリオンセラーが今やその言葉の凄さを現さないのと同様に、マンガの発行部数によって自らの存在感をアピールすることは、もはや不可能となっている。
 時代からの反発がなくなった今、マンガはどのようにして自らをアピールしていったらいいのか。その悩みこそが、最近のマンガ雑誌の低迷につながっていると言えよう。
 未来への遺産−マンガは10年先、100年先、いったいどこへ向かうのだろうか……(未完)。

 

WEB版あとがき
 途中、内容の一部にタイムラグがあり、首を傾げた人も多かったと思います。リアルタイムでお届けしていたと思っていた皆様には本当に申し訳ありません。当コンテンツは、自分が大学卒業時に提出した卒論の再録です。入試シーズンも終わり、これから新入生として新しい生活を始める人、あるいは夢かなわず浪人へと向かう人、いろいろいると思います。そういう人たちへの励ましのメッセージとなればと思いWEB版としてここに復活させました。また、そうでない人にとってもマンガ雑誌の別な側面を楽しんでいただければと思います。
 ちなみにコンテンツ内に記されている編集者のコメントは、すべて実際に言われたことです。使用している写真も、一部を除き、実際に卒論内に使用した写真と同一のものを使用しました。上の解説は、卒論の最後に記したものです。期日に間に合わず未完で終わってしまいました。これでも一応卒業できたのは、大変に寛容力のある教授に出会えたからに他なりません。
 その後、Wはいったん就職。現在は、職場を円満退社後、再びマンガ界への進出を狙い邁進しているところです。今後の活動については随時、絵画画報内にて更新していく予定です。新作もできましたら追加していきたいと思ってます。どうぞご期待ください。ありがとうございました。
             2004年2月25日






   
   
   
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